【この物語はフィクションです。】
-1998年-
昭和が終わり、平成の世になってから約10年が経った頃。
後に「失われた30年」と呼ばれる時代の真っ只中に、渡丸 時生(とまる ときお)はいた。
そこは都内の外れにある古びたオフィスビル。
都心からかなり離れた人気のほとんどない場所に、そのビルは建っている。
ビルと言っても5階建ての低層建築で、昭和の中頃に作られた築30年は経っている古い建物である。
何度か改築や補強工事は行われてはいるものの劣化が激しく、建物には所々にヒビや傷が確認できる。
建設当初は真っ白であったと思われる外壁も、日に焼かれ濃いクリーム色に染まり、長年の汚れを蓄積してマダラ模様にグレーのシミが付けている。
廊下や階段は無機質なコンクリート剥き出し状態になっており、塗装すらせれていない。
この辺りには同じようなビルが幾つか建っており、建設当時は多くの会社が集まるオフィス街と呼んで問題の無い地域であったが、今は空き部屋も増えて随分寂しい場所になってしまった。
午後23時。
外は街灯や自販機以外の灯りがほとんど無い中、その寂れたビルの3階には、まだ電気が灯っている部屋があった。
そこは、都丸の務める「株式会社五星(いつほし)テクノファージ」のオフィスである。
テクノファージなどという立派な名前は付いているが、やっていることは大企業の下請けの下請け、さらにその下のほとんど雑務をこなすのがメインの会社である。
だが、雑務ほど仕事量は多い。
なにしろ、上に並ぶ複数の元請け会社が、自社でやりたくない面倒な仕事を格安で次々と投げつけてくるのだから、それを処理している渡丸達はたまったものではない。
しかも、この時代に働き方改革などという言葉は関係ない。
社員は、社長を含めても20人以下の小規模の会社だが、上役を除きほぼ全員が毎晩のように遅くまで残業を強いられ、終電で帰宅する者も少なくない。
繁忙期には、会社で何日も寝泊まりすることも珍しくなかった。
安月給で、サービス残業は当たり前。
ボーナスもろくに出ない劣悪な環境だが、誰も大きな声では文句も言わない。
2年後に、ブラック企業という言葉がインターネットの掲示板で使われ始め、2007年には流行語大賞にもなり、社会問題にまでなったが、この頃はまだそんな言葉は無く、みんな当たり前のように残業を受け入れていた。
それも当然だった。
昭和と共に弾けた経済バブルの煽りを受け、景気は一気に低迷。
特に、この1998年は、アジア通貨危機の影響などを受けて、企業のリストラや倒産が相次ぎ、失業率が過去最悪の4%台にまで達っする事態となった「平成大不況」と呼ばれる年である。
企業が人材を減らしている世の中で、今会社を辞めても再就職が出来る可能性はゼロに近い。
ましてや、希望の職に就くなど夢のまた夢である。
そんな就職氷河期の時代に、勤めている会社に不満があったとしても、簡単に辞めようなどと思う者はほとんどいはしないのだ。
しかも、上司は『猛烈社員』と呼ばれた世代が多く、働いて、働いて、はたらくのが当たり前の考えのため、残業に拍車がかかっていた。
2025/12/8アトムプリント